これから必要な「学力」とは?
「学力日本一」秋田県東成瀬村の本を読んで、少し考えたことを書きます。
「学力」について。
「学力日本一!」とあったけれど、そもそも、今の日本の「学力観」でいいのだろうか。もちろん高いにこしたことはないのだと思います。
日本は年号が変わる毎に、教育の変革がなされようとしてきました。
昭和→平成では「ゆとり教育」。「総合的な学習の時間」が新設されて、授業時数も削減されました。しかし、その後のPISA調査で学力低下が問題視され、批判が起こりましたね。「ゆとり世代」とネガティブな意味を込めて使われるようにもなりました。
平成→令和では、大学入試に記述式問題を導入しようとしましたが、反発があり延期。(これは採点についての問題だけど)
特にどちらが良かったと言うつもりはなく、苫野先生が言う「問い方のマジック」だと思います。「詰め込み教育」と「ゆとり教育」、「マーク式」と「記述式」。どちらも良さがあり課題もある。
より良いのもにしていく為に批判は必要ですが、「〇〇にしたから学力低下した!」の前提となっている「学力観」はこのままで良いのかという話。
これからの時代に必要となってくる「学力」とは?世界がこれほど急速に変わっていっているのに、「学力」だけ変わらないはずがない。
これからの「学力」を測っていく為にbetterなのはマークなのか、マーク+記述なのか。
もし、時代に合わせ「学力観」を変えなくてはいけないのであれば、「昔の学力観」でこれからの教育を判断したり、批判したりしていくのは危険なのではないか。
ただでさえ150年変わっていないと言われる日本の教育。
根本の部分から考え直していきたいですね。